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臨床心理士矢幡洋のホームページです。現在は仮サイトで、平成20年9月に本格的なサイトを始めます。現在は、インターネット上の通信教育と私の著作(講談社から35冊目が出ます)の紹介が中心です。 |
緊急コメント
秋葉原通り魔事件の容疑者パーソナリティーに関する現段階で可能な仮説
ナルシスティックで、過剰な自意識。当日の書き込みで、小学生時より自己演出が巧みで大人の称賛を簡単に得られる、という能力感。複雑な一面は、そのような「ハッタリ上手」な自分に対して「こんなホンネが出せず自然体になれない人間に友達ができるわけがないという自己嫌悪感が強かったこと(だから、福井の店員さんの笑顔や「こんな自分に付き合ってくれた友達アリガトウ」という、「飾らない素朴な好意」に対してはセンシティブだった。)。この自己嫌悪感は、挫折後、過剰な自己卑下に走った。ケータイ書き込みでは、「世界の不幸を一身に背負う悲劇の人(ヴァーチャルなフィクションに近いが)」が新たな自己愛の対象となった。「だれも自分を受け入れてくれない」という思いに浸っていたいからこそ、たまに好意的な書き込みをされても、「どうせオマエも勝ち組」というひねくれた拒絶によって「愛されない悲劇の人」という自己愛像を変えようとしない。
「『彼女がいることが男のステータス」という歪んだ価値基準にこだわり、「世の中の男はみんな彼女がいるのに、いない俺だけは負け組」という自己規定。だが、「周囲のせい」「顔のせい」と万事責任転嫁で、「俺は世界一悲劇の人」という自己愛カプセルに閉じこもる。
犯行の動機は、「ワイドショー独占」という「注目を浴びたい」(それがなければケータイメールに書き込む必要はなかっただろう)という自己顕示欲。犯行というドラマを可能な限り劇的に盛り上げたいという目的では徹底的に合理的で、トラック、歩行者天国開始時間狙いなどの「騒ぎを少しでも大きくする」ことに専念している。書き込みに「男が一人多いから、俺に彼女ができない・・・少し減らす必要がある」という趣旨のものがあり、主要なターゲットは男性であった(被害に合われた方には男性が圧倒的に多い。容疑者は、「注目される事件にするために最大の人数を殺傷してやる」という気持ちがあり、数少ない女性の被害者は、(本当にひどいことだが)「被害者の数を増やすため」手近にいたので被害に巻き込まれてしまったのかもしれない。
「注目を浴びたい」願望が突出しており、「極刑を受けたい」という間接自殺願望や、「社会に復讐」という復讐心は意外と希薄なのでは?(最後まで抵抗して射殺されるよりも、つかまって、自分の犯罪がどれぐらいの注目を浴びるのかをウォッチングしたかったのではないか。逮捕後、自供のペースも早く、自分のことを細大漏らさず世間に知らせたいという願望がうかがわれる。(膨大な書き込みも、ひとつの理由は「自分に関することはどんなことでも重要」という思い入れにあっただろう)
犯行直前は、勤務先で作業着がなかったことを「わざとやった」と悪意に解釈するなど、妄想的な傾向も現れていたようだ。
もちろん、絶対に許せない犯罪である。だが、私は、これを機会に、現代社会の一部にある雰囲気「人間を勝ち組、負け組に分ける」「勝ち組であることだけを人生の目的と見る」「自己演出に夢中、自分に夢中」「ステイタス、ブランドにこだわり、それがなければ、即『負け組』を自称」「目立つことが価値がある。多数の視線を集めること自体に価値がある」という価値観が自分自身の中にないかどうか、じっくり我が身を振り返りたいと思う。加藤容疑者のような、「派手にかましたがるが、自分の中に、他人に語るべき内容がほとんどない」「『他人の注目が注がれている』以外に自分を評価する内面的な価値基準がない」というような人間にならないよう、自らを律したい。
最後に、尊い命を亡くされた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。